2025-05-24

【メルボルン生活での変化】多国籍文化の地だからこそ知る、自分自身のこと。

Last Updated on 2025/05/26 by RIHO

こんにちは。
メルボルンでワーキングホリデー中のRihoです。

私のブログでは現在、メルボルン生活を基に細々と情報を共有しています。

【メルボルンの家賃公開】家を探しているあなたに。

さて、今回は情報発信というよりも、思想の整理です。
私にとって執筆は、考えを客観的に見るための方法の一つでもあります。

メルボルン生活が始まって半年が経ちましたが、3ヶ月経った頃、このような Noteを書きました。

わざわざ外国語を学ぼうとしたり、外国に身を置かなければ、どれだけ悩まなかったか。どれだけ苦なく滞りなく、過ごせていたのか。
そんなことは考えなくてもわかる。
それでも、やることにどれだけの価値があるのか、私自身もう痛感している。私の人生にとって、ですが。

私は考えるのが好きで、“なんで?”と問うことも好きです。
考えずに疑問も持たずに突き進んだ結果も知ったうえで、です。

今回は、私が英語学習並びに、海外生活を通じて自分に起きている変化、それでも変わらないなと思う点の一部を整理します。

交友関係の違い

私の財産ともいえる交友関係は、誇りでもあり、人生を表現するものでもあります。
人との繋がりで生きていて、喜んで集団の先頭に立つことも本心です。

しかしこの半年間で、交友関係が狭いことへの居心地の良さを学んでいます。交友関係が広がり続けることに疲れていたのかと思いました。

交友関係が狭いメルボルンで、そして日本の家族や友人と離れている今だからこそ、自分の気持ちを優先することができています。

  • 自分が話したい人に電話します。
  • 自分が学びたい人に連絡します。
  • 自分が知りたいと思う人と時間を作ります。
  • 自分が息抜きできる人、顔が見たい人に会いに行きます。

人の価値を測るだとか、そういう風に伝わってほしくないのですが。

自分に向き合って行動していれば、いつの間にか素敵な人たちと繋がっていくことも、十分に知っているのです。
今でこそ、「何も言わないけど見てるね」って放っておいてくれる関係がある気がしています。
だから、交友関係を広げることへのこだわりがないのかもしれませんね。

敏感になった言葉

渡豪前まではそこまで思わなかった、「日本人だもんね」「日本文化はそうだよね」のような言葉を、理解はできても、受けるのが苦手になりました。
(特に内面、習慣や思考に対して)出身国と個人を紐付けするような気持ちになり、「日本人だから」と言われても違和感があります。

もちろん全否定はしませんが、自分が出来ることが日本人なら大抵は出来る、とは思わないからです。同じ日本人だから同じ価値観だと思ってほしくないタイミングだってありますから。

自他への敬意みたいなところが、これまで以上に敏感になったような気がします。逆も然り、私は「○○人だもんね」という思考は意識的に控えています。ポジティブなことであっても、受け取る側の感性次第でどちらの意味にもなる得るから。
「母国の文化・言葉ではどう感じる?」という風な質問はしますが、一個人の感覚を聞きたいという姿勢でいます。

それぞれ他国出身だからこそ、お互いに興味を持つ空気感は好きです。
自国(他国)に対する知識、誇りに思っていること、表現の違い、文化の違いを教え合う、などなど・・

個人の思考や言動は浴びてきた愛情、言葉、環境、受けた傷、成してきたことがあってこその現在なんだと思います。
もちろん国の文化から似ている価値観があり、「日本ではこういうことが一般的かな」という感覚もありますよ。
しかし、個性の違いを文化の一言で片付ける、またはそれを言い訳にされるのが苦手なんだと思います。

ただ、慎重になりすぎても窮屈なだけなので、そこまで深読みして言葉を受け取らないようにはしています。それこそ、アンチではないので表現がなかなかむずかしいですね。(笑)

発言の変化

最初は英語に自信がないだとかで、発言できない自分がいると思っていたのですが、すっかり違ったなと。

たとえ母国語であっても、私はただ言わない方を選んでいたんだと。

よくしゃべる性格ではありますが、明るい性格を貫きすぎた故に、悲しかったり、不快な感情の表現はあまり得意ではありませんでした。
特に、されたら嫌なこと、何に傷ついたのか、というマイナスな気持ちをはっきり言葉にするのをずっとさぼっていたと痛感しています。

しかし前述したように、多文化背景を理解したうえでも、いろいろな気持ちが心を行き交います。そのせいか、いちいち発言するようになってきました。
拙いからこそ、自分がどう感じたのか言うべきで、大切なコミュニケーションであることをよく学んでいます。

数ヶ月経ってやっと気付きましたし、今でも得意ではないですけどね。(笑)

“日本語でならいくらでも言えるのに・・・”なんて心の底で思う時があるのですが、よく考えるとここまで言葉にして伝えることはあまりなかったかもしれません。

どんな空気になるのかを想像して我慢したり、または恥ずかしくて言えないだとか、言わなくても伝わるだとか。そういうことに慣れてしまっていたのだと思います。
言語と価値観の壁が混じった環境にいて、やっと、自分の気持ちを素直に伝えることの大切さを実感しています。
そして、喜怒哀楽を無視せず言葉にすることで、だんだんと自分自身を知ることにも繋がっています。

能力的な強み

暮らす土地、使う言語が変わっても、変わらないなと思う自分の強み

日本では使えても、オーストラリアでは使えない資格。
日本では珍しくても、一歩国を出ればなんの珍しさもない物事。

今でも、知らないこと、出来ないことがたくさんある。

それでも、自分の強みをよく知っていることってすごく大切で、自信を持っていていいんだと。

  • 料理を専門的に学んだことはないけれど、素人以上の情熱がある。
  • 詳しくはないけれど、パソコンを使うのだってそこそこ得意。
  • 人と接することが好きで、自分から飛び込んでいく好奇心がある。
  • 人に喜んでもらうことを考えるのが好き。
  • 新しいことに興味を持って試すのが好き。

-そっか、好きなことを自分の能力にしちゃえば、弱みを覆うほどの強みになるんだな。
この半年間で日本での社会生活では埋もれていたことを学びました。

大した社会能力は持っていない、でも、意外に評価された自分の能力。

強みで覆いきれない英語という弱みを、少しずつ能力に変えていこう。
期待ではなく信念を持ち、英語という弱みに向き合い始めたからこそ、積み重ねてきた強みを知る機会になっています。

本記事をシェアした理由

いかがでしたか?

このような記事をシェアするのは、どれだけオブラートに包んでも“本意でないことだったり、どう思われるかわからない”からこそ、正直怖いです。
しかし今回、大変ありがたいことにメンタリティ的な記事を読みたいというリクエストをいただきました。

目に見えないこのような部分は、誰かのことを知るからこそ楽になることもあります。

私自身が発展途上なため、行動をしたからこそ知った現実、メンタリティの変化だったり、先入観からの変化はリアルだなとも思います。ただ、主観が混じってくるので、受け取る側への配慮も完璧ではないかもしれません。

だからこそ、文章にして自分を知るという執筆が好きなんですけどね。

特に読み手の不安を煽るような話題は、そっと心の中または身近な人への相談で解消するのがいいのかなと思っています。

本記事が、リクエストいただいた方の心に届き、その他ワーキングホリデー、英語学習の第一歩、海外への興味、後押しなど。。
少しでも役に立ち、励みになりますように。

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